総代の皆さまをはじめ、門信徒の皆さまのご協力により、順光寺の中庭を整備しました。草が生えないように、シートを敷き、その上に砂利を敷き詰めました。庭の木も整理し、ところどころに苔を植え、見違えるような庭になりました。
整備する前は、草が生えるたびに草取りが必要でしたが、シートを敷いたことで、その作業が必要なくなりました。大変ありがたいことです。
観葉植物に思うこと
話は変わりますが、私は、随分前から、部屋で観葉植物を育てています。ポトスやパキラなど、部屋に緑があると、心が落ち着きます。定期的に水をやったり、葉っぱに霧吹きをかけたり、大切に育てています。
さて、私が普段いる部屋は、庭に面したところにあります。
まだ庭が整備される前のことです。観葉植物に水をやっていると、庭の草が目に入ります。それを見て、「また草を刈らないといけないのか…」と気分が落ち込みます。
ここで、草の立場になってみましょう。草は植物です。種をまき、芽を生やし、太陽の光を浴びて、精一杯生きようとしています。
それなのに、私は、庭の土に生えている草を「雑草」と捉えて邪魔者と思い、部屋の鉢に植えてある草を「観葉植物」として大事に育てています。自分を中心としたものの見方をしているんですね。
「良い」と「悪い」
私のものの見方は「良い」と「悪い」とに終始しています。今日はいい日だった・悪い日だったと言い、あの人はいい人・あの人は悪い人など、全てと言っていいほど「良い」「悪い」の判断です。しかし、「良い」「悪い」は自分の都合に合わせた私たちの判断です。
自己中心的なものの見方のなかで、自ら苦しみ悩んでいるのが、この私の姿です。それを見た阿弥陀さまは、すっとお立ちになって、この私をそのまま救うと、「南無阿弥陀仏」とお念仏となって、おはたらきくださっているのです。