【フォト法話】私のものの見方

総代の皆さまをはじめ、門信徒の皆さまのご協力により、順光寺の中庭を整備しました。草が生えないように、シートを敷き、その上に砂利を敷き詰めました。庭の木も整理し、ところどころに苔を植え、見違えるような庭になりました。

整備する前は、草が生えるたびに草取りが必要でしたが、シートを敷いたことで、その作業が必要なくなりました。大変ありがたいことです。

観葉植物に思うこと

話は変わりますが、私は、随分前から、部屋で観葉植物を育てています。ポトスやパキラなど、部屋に緑があると、心が落ち着きます。定期的に水をやったり、葉っぱに霧吹きをかけたり、大切に育てています。

さて、私が普段いる部屋は、庭に面したところにあります。

まだ庭が整備される前のことです。観葉植物に水をやっていると、庭の草が目に入ります。それを見て、「また草を刈らないといけないのか…」と気分が落ち込みます。

ここで、草の立場になってみましょう。草は植物です。種をまき、芽を生やし、太陽の光を浴びて、精一杯生きようとしています。

それなのに、私は、庭の土に生えている草を「雑草」と捉えて邪魔者と思い、部屋の鉢に植えてある草を「観葉植物」として大事に育てています。自分を中心としたものの見方をしているんですね。

「良い」と「悪い」

私のものの見方は「良い」と「悪い」とに終始しています。今日はいい日だった・悪い日だったと言い、あの人はいい人・あの人は悪い人など、全てと言っていいほど「良い」「悪い」の判断です。しかし、「良い」「悪い」は自分の都合に合わせた私たちの判断です。

自己中心的なものの見方のなかで、自ら苦しみ悩んでいるのが、この私の姿です。それを見た阿弥陀さまは、すっとお立ちになって、この私をそのまま救うと、「南無阿弥陀仏」とお念仏となって、おはたらきくださっているのです。

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この記事を書いた人

豅 純吾(ながたに じゅんご)

浄土真宗本願寺派 順光寺 住職(宗教法人代表役員)。
Webデザイナー・グラフィックデザイナー・カメラマン・ブロガーなどとしても活動。
地域コミュニティ「松江ヨアカリ」副代表・広報担当。
Jungo Web(個人の公式サイト)・じゅんごガジェット(メインブログ)