2015年の大晦日を迎えました。今年1年、皆さまには大変お世話になりました。
順光寺では元日の朝7時から「修正会(しゅしょうえ)」という法要をお勤めします。本堂の準備を終え、年が明けるのを待つばかりです。
さて、大晦日といえば除夜の鐘。順光寺には梵鐘(釣り鐘)はありませんが、隣町のお寺から今年も厳かな鐘の音が響きます。
除夜の鐘の由来
「除夜(じょや)」とは、「旧年を除く夜」という意味で、大晦日の夜のことです。
全国的に108回鐘を撞くところが多いようです。この「108」の数の由来には諸説あります。
煩悩の数
六根(人間の六感である眼・耳・鼻・舌・身・意)にそれぞれ三種(良い・悪い・どちらでもない)・・・6×3=18
六塵(色・声・香・味・触・法)にそれぞれ三受(苦・楽・捨)・・・6×3=18
18+18=36。この数字に三世(過去・現在・未来)をかけると、36×3=108
四苦八苦の語呂合わせ
「四苦八苦」とは、お釈迦さまが説かれた人生の根本的な苦悩のことです。
四苦(4×9)+八苦(8×9)・・・36+72=108
「たくさんの」「多くの」という意味
108という表現が、具体的な個数を表しているのではなく、「限りなく多くの」といった意味合いを持っているという説です。
私も、この説が除夜の鐘の意味合いとして一番合っているような気がします。
煩悩とは
浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は「一念多念証文」というご著書の中で次のように記されています。
「凡夫」というは 無明煩悩われらが身にみちみちて 欲もおおく いかり はらだち そねみ ねたむ心おおくひまなくして 臨終の一念にいたるまでとどまらず きえず たえず
煩悩とは、「私の身を煩わせ心を悩ませる、私の心のはたらき」のことです。他人や世間の出来事といった外的な要素ではなく、自分自身を苦しめるのは自分自身であるということなんですね。
煩悩の根本的なものを「三毒(さんどく)」と言います。
- 貪欲(とんよく)〜あれも欲しいこれも欲しいとむさぼる心
- 瞋恚(しんに) 〜怒りや腹立ち
- 愚痴(ぐち)〜愚かさ
命終わるその瞬間まで私たちは煩悩から離れられないと、親鸞聖人はお示しくださいました。欲望や怒り・妬みに心と体を奪われ、苦しみ続けている姿。仏法に遇うとき、それは他でもない私のことと気付かされます。
除夜の鐘で今年の煩悩を取り除くと考えるのではなく、多くの煩悩を抱えて生きている私であることに気づかせていただくご縁ではないかと思います。
そして、そんな煩悩の中にあるこの私を救わずにはおれないと、常にはたらき続けてくださっているのが阿弥陀如来さまなのです。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。2016年が皆さまにとって、尊いご縁に恵まれる1年となりますように。
合掌
順光寺 副住職 豅 純吾